■竹早進学教室(2018/08/19)
人間には誰しも秘密というか隠してある秘め事があるものである。私には隠し事というわけでは似けれども,あま
りおおっぴらにしていない事実があり,その一つは7山梨大学で教師となった以前に,「竹早進学教室」で教師を始め たという経歴がある。大学の4年生のときからではなかったかと思う。その位の昔のことであって記憶は定かではな い。ところがなんとも不思議なことには今もその記憶は一部の関係者にとっては懐かしい思い出として残っている。そ んなところから,あえてページを新たに設けることとした。誰も信じてくれないことであるかもしれない。
■埼玉医科大学医用生体工学科設立10周年の集い(2017/01/22)
埼玉医科大学の「折にふれて」にちょっと書きました。
■東京農工大学1995年学部卒の皆さんと川崎で会いました。(2016/12/16)
農工大のページで「その後のあれこれ」を読んでください。
■山梨大学卒業の皆さんとの集い(2014年7月12日)
甲府での集まりがありました。三上君,矢崎君,それに金さんまで巻き込んで研究室を見学させてもらってから
夕方からは湯村での宴席が設けられました。懐かしい顔も見られますので,山梨大学のページをクリックしてくださ
い。
■山梨大学卒業の皆さんとの集会(2013年3月20日)
山梨大学の諸君は同窓生としての意識が強いです。以前からまた集まろうよといっていたさすがに忙しくてなか
なか実現できませんでした。ようやく一息つけたのでしょうか,5月には久しぶりに皆で集まろうということとなりまし た。幹事役の二人に負担がかかりますが,楽しく集まりましょう。皆さんの元気な様子が楽しみです。
■さらば,埼玉医科大学(2012年5月5日)
医用生体工学科発足に伴って2006年4月から勤務した埼玉医科大学から2012年3月をもって離れることとなった。
医科大学に籍を置くことには多少の戸惑いもあったが,誘ってくださった西坂剛先生のご好意に応えるべく私なりの
努力をした。ただ工学部出身であるためと,所属する学科が医用生体工学科という臨床工学技士の養成が主目的 であるということとで,私のこれまでの経験ではカバーできない分野であることが懸念された。事実,学生の資質は 必ずしも高いものではなかったし,物理や数学などは苦手であるという学生が多数であった。しかし徐々に医用工学 に関心をいだく学生も入学してくるようになり,当初は助教として参画してもらった若山俊隆さんの努力もあって, 我々の分野に興味を示す学生が現れてきた。若山さんは,持ち前の勤勉さと努力にとって成果を挙げて,講師を経 て2012年には准教授へと昇任した。私は彼に全面的に依存してしまったが,彼の本来の専門分野である偏光技術 に加えて,三次元物体の形状計測やパイプの内面形状の計測までをカバーしてくれた。私が6年間をなんとか過ご すことができたのは,全面的に若山さんのお蔭である。さらに事務的な仕事として,書類整理などを手伝ってくださった 浅野恵秘書の存在が大きかった。明るい性格でてきぱきと仕事を片付けていただけたことに感謝したい。とくに2000 年で途絶えてしまった研究成果報告書の取りまとめには根気よくあたってくださり,2010年になって分厚い報告書 (第6巻)を印刷に付すことができて,私はようやく長年の罪悪感から開放された。その第7巻もすでに編集を終えてい ただいたので,間もなく刊行される予定である。私はまだ大学生活に多少の未練があるけれども,とにかくここで一段 落をつけて,夏までは時間をかけて個人事務所の整理に当たりたいと考えている。研究開発の最前線からリタイア するわけではなく,まだまだ頑張ることとする。
■2010年7月27日
大変に暑い夏を過ごしています。3月には埼玉医科大学教授のポジションからステップダウンし
て,4月からは客員教授となりました。その引き換えに片道3時間という通勤時間は週に2日だけとな りましたので多少は余裕ができました。でも期待したほどには自由な時間がとれません。でももう 一息頑張ります。研究ではパームトップ型三次元形状計測カメラと非接触内面形状計測プローブの 開発と製品化に力を入れています。
■2010年4月
1968年に山梨大学に赴任して甲府で10年を過ごし,1978年に東京農工大学に移った。それまでの精
密工学から多少変わって,機械工学の雰囲気の中での精密機械工学という立場になり,気がついた ら25年を小金井で送って停年を迎えた。最後の頃は大学の変革期にあたっていたし,その方向は私 の考え方とはなじまないものであった。そんなこともあって大学生活から離れた後の3年間は産業界 に身をおいたけれども,2006年から埼玉医科大学に勤務することとなった。今度は分野が一転して 医用工学になったことはむしろ嬉しかった。埼玉医科大学医用生体工学科は設立と立上げのタイミ ングであり,多くの試行錯誤が相次いだ。2010年3月には最初の卒業生が出て,私の役割には一区切 りがついたので常勤の教授席からは離れて4月からは客員教授という立場で週に2日程度の勤務を続 けることになった。結局三ヶ所において大学生活を送ったこととなった訳であるが,これからは海 外の大学にある程度ゆっくりと滞在しながら大学生活の延長を楽しんでいきたい。
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